第1期 1981年〜1986年(昭和56年〜昭和61年)
模索期
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全国的にもかなり早い時期の設立となった背景には、横浜において国際交流への機運が一段と盛り上がりをみせた前史があったからだ。 74年に行われた「アジア卓球選手権大会」には、30カ国・地域から約4,000人を上回る選手が参加し、名実ともにアジアの友好を深める一大イベントが横浜で開催されている。また翌年には、横浜市経済局に国際交流課が設置され、「各国婦人との集い」や「環境国際シンポジウム」、「横浜アラブ友好促進会議」など多彩な交流事業が約2か月間にわたって、「国際交流ヨコハマ・ムーブメント」と題して繰り広げられた。さらに、自治体初の見本市「日本・横浜工業展覧会」が79年に中国上海市で開催され、約5億円にのぼる商談が成立するなど、70年代後半には大規模な国際交流イベントが次々と開催されていった。 このような国際交流の高まりが、行政と民間活力を一体化したヨークの設立へと結実していったのである。 設立趣意書には、「日本の近代化に貢献してきた横浜の国際性、先進性、開放性という特質を積極的に活用し、百有余年にわたる諸外国との交流によって蓄積された独特の風土の上に、個性と活力に満ちた国際経済・文化都市を創造する」と謳われ、ヨークの設立に関わった当時の関係者の意気込みが強く感じられる。翌82年12月には、正式に財団法人として外務省から認可され、より一層の事業の充実が図られた。 |
まず第一に、現在と比べ当時の外国人数が約半分の2万5千人ほどであったことから、「地域の国際化」があまり叫ばれていなかったこと、また第二として、技術研修生の受け入れは行っていたものの、NGO(非政府組織)の存在などもまだ少なく、国際協力についての取り組みは緒についたばかりの時期であったことなどから、ヨークの事業が、海外との交流を通じて、いかに地域経済の活性化に貢献できるのかといった点に重きが置かれ、姉妹都市など海外諸都市との交流事業によってその中心が占められていたことなどが上げられる。 また当時は、自治体の国際交流の事例も少なく、自治体の国際交流は国家レベルの外交とどのように違うのか、またどのような理念なり方針のもとに実践されるのかといった基本的な疑問も関係者の中から発せられ、自治体がこれから国際交流事業に乗り出そうとする生みの苦しみの時期であった。 第1期は、ヨークにとっても模索の5年間であった。 ![]() 1981年(昭和56年)7月、 横浜市海外交流協会(現横 浜市国際交流協会:99年 に名称変更)が設立された |
●姉妹・友好年との交流
●海外研修生の受入れ
●アジア地域経済交流横浜会議(YCEDA事業)の開催
●外国語による情報誌の発行
●ヨークシンポジウムの開催
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